我が家のMac達
(1)1990年 前史
〜会社でのファーストコンタクト
GUI初体験 驚異の使いやすさ
Macとの最初の出会いは、1990年初頭、工場で工程管理を行っていた新人の頃でした。
聞き慣れないその名前に疑いの目を持っていたのは、実際に使う前まで。
使ってみると、「こんなに使いやすいコンピューターはない! すごい!」と皆で絶賛で、私達は皆、いわゆる”Mac教”の信者になりました。
生産計画作成用シートは、前年くらいからNECパソコンにより作成するようにしていましたが、すべてWINGZ(当時EXCELより高性能だった!)に切り替え、シュミレーションやデーター解析の作業効率が一気に倍増しました。また、きめ細かにプロダクトミックスを設定することで、生産計画の精度が一気に向上しました。まさに私達にとっては、驚異のツールになったのでした。
その後90年代半ばまでMacが会社の主力パソコンでしたが、Windows95以降は、大勢に合わせるため、Win機に全て切り替わってしまったのはつくづく残念です。今思えば、うちの会社はいわゆる重厚長大の代表格のようなメーカーなのに、結構進取の気風溢れていたんだなあと思います。
そんな私が、家内の実家から93年に譲り受けたのがPowerBook100。我が家でもMacLifeが始まったのです。
(2)
1993年 PowerBook100
1)我が家のファーストマック
パソコン通信&電子会議室初体験
〜新しいコミュニケーション
FCAMP,FENG,FMACPB,FMACLIFE
PowerBook100は、1993年に家内の実家から譲り受けた我が家のファーストMacです。当時、家内は半年近い入院からようやく復帰したばかりで、お手伝いさんの力を借りてようやく家事をこなせるという状況でした。外出もあまりできない中、家内のお母さんから、家でもできるパソコン通信でもやってみては?ということでいただいたのでした。
「ジャ〜ン」という会社でお馴染みの起動音を自宅で聞いた時は、正直こんな贅沢をしていいんだろうかと思いました。ようやく家庭に15万円ほどのワープロ専用機が出回った頃で、ノート型Macは非常に高価なものでしたから。
早速NIFTY-SERVEに入り、パソコン通信を体験することになりました。キャンピングフォーラム(FCAMP)にまず入会しました。ここで電子会議室の楽しさに目覚めたのでした。お互いにレスをつけあっているうちに、自然と仲間意識が芽生えていくことに、コミュニケーションの新たな未来を感じました。オフキャンプもなかなか盛況で、アウトドアブームの中で楽しい思い出がいくつもできました。
それからは、英語フォーラム(FENG)、幾つかのマッキントッシュフォーラム(パワーブック関係〜FMACPB、初心者用〜FMACBG、マックライフ〜FMACLIFE)にも入会し、いろいろなことを教えてもらいました。FENGでは、NHKラジオ講座「やさしいビジネス英語」を使ったディクテーションと単語テストをやっており、私も参加しました。これによって、今までの自分の勉強方法に欠けていたものが何かを知り、またTOEICの成績で相撲のように番付されることを励みに、お陰で入会当時TOEIC675点だった成績は、最高860点をマークするほどに進歩しました。
マッキントッシュ関係の会議室では、トラブルのたびにいろいろと教えていただきました。中でも一番思い出に残るのが、PowerBook100の液晶のバックライトの交換です。中学卒業後はハンダごてを握ったことがない私でも、懇切丁寧なご指導のお陰で、一部の回路の修理も含めたバックライト交換を成し遂げてしまったのです。ここにもネット社会の新たな可能性を感じたのでした。
PowerBook100は、1999年1月に我が家にPowerBookDuo280cが来るまで、ずっと我が家の主力マシンで、文字どおり大活躍しました。帰省時には一緒に持っていき、モバイルマシンとしても使われました。Comnifty&魔法のナイフ&茄子Rというパソコン通信ソフトがあれば、それで私も家内も十分だったのでした。Duoが来てからは家内の専用マシンになりました。5300cが来た2000年夏頃に毎日使うマシンとしては引退し、今では時々起動しては、昔のソフトで遊ぶ”癒し系”マシンとなっています。
2)PowerBook100の今
PowerBook100は、今では昔懐かしいゲームを楽しむという”癒し系”のマシンになっています。
お気に入りは、「シャッフルパック・カフェ」と「上海」です。シャッフルパック・カフェは、その昔会社のマシンにインストールされていたゲームで、エアホッケーを怪人達相手に戦うゲームでした。当時やりすぎてマウスが壊れた事件をきっかけに会社では禁止になりました。シンプルだけど、凝っていて、時間もかからず楽しめて、これぞ真の息抜きたるゲームだと思っています。
【追伸】
最近、PowerBook100のハードディスクが逝ってしまいました。しかしこのまま捨てるにはあまりにも惜しい。そこに、かつてバックライトが逝ってしまった時の救世主、FMACLIFEのtamaruさんが再び現れ、「Yahooオークションで安くHDDを手に入れて交換せよ」とのありがたいアドバイス。
早速その言葉どおり、中古内臓SCSIHDDを2000円で手に入れ、今は修理の時を待っています。
3)PowerBook100復活!
PowerBook100の故障したハードディスクを、いよいよ交換することにしました。別冊Mac Fan iBook & PowerBook Specialという以前買った本を頼りに開腹作業開始。以前バックライト交換の時に開腹していますので、今回が2回目になります。順調に作業は進み、漢字Talk6をインストールすると、ご覧のとおり「あけましておめでとうございます」の文字が! 見事復活です。これから、バックアップ取ってあったGomTalk(System7日本語パッチ)と数々のファイルを入れれば、完了です。今日のところは、なぜかDuoとLocal Talkが繋がらず、次回持ち越しになりました。
4)PowerBook100よ、再び!
3)の記事を書いてから、1年以上過ぎました。何度か漢字Talk6を入れ直したのですが、エラーが出てしまい、頼みの綱Local Talkがどうしてもダメです。Duoのハードディスクに入ったSystem7を入れたいのですが、フロッピーアダプターをDuoは持っていません。よって、インターネットからシステムをダウンロードしても、フロッピーに落とすことができません。
PowerBook100は、今やスタンドアローンのシステム以外何もはいっていないマシンになってしまいました。ただ動くというだけの。やがて、液晶モニターに表示障害が起こるようになりました。ああ、もうすぐ、この100もこのまま寿命を迎えるのかもしれないなあと思っておりました。
ところが、先日、会社の先輩と話をしていた時、彼が昔からのMacファンであり、100でも使える漢字Talk7.1をフロッピーディスクで持っていることを知りました。
早速借りて、インストールしてみました。
久しぶりに動かす100は、時々画面が乱れながら、またインストールエラーに2回見舞われながら、ついに漢字Talk7.1をインストールできました。これによって、PowerBook
DuoとのLANが復活し、PowerBook100でしかうまく動かない“名ゲーム”シャッフルパック・カフェを元に戻すことができました。その他、有名なMacゲーム「上海」と音楽用ソフト「studio session」、そしてかつてエクセルを抜いた高機能表計算ソフト「WINZ」も元に戻しました。
時折乱れる画面を眺めながら再びやってみたシャッフルパック・カフェ。90年初頭のパソコン黎明期の何とも言えぬ熱気と、自分が工場でまだ新人として働いていた頃のこと、新婚時代のことなど、いつしか思い出していました。
たぶん、このPowerBook100の余命もそう長くないかもしれません。しかし、いろいろな面で未来に対する夢や可能性を感じさせてくれながら、生活の一部をしっかり支えてくれたこのマシンが、少しでも長生きしてほしいものです。